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2011年3月30日 (水)

被災地へ、行ってわかったこと

Otsuchi3  トラックに物資を積み、静雄さんと共に、
大槌、釜石、大船渡、陸前高田へ行ってきました。北上からは峠を越えて2時間です。

近づくにつれ、貧血に近いようなボーっとした感じになりました。でも気を確かに持って、記憶と目に焼き付けようと覚悟を決めました。

テレビで何度も観ていた景色でも、地面の高さから見上げると、その凄まじさは想像以上です。
広い海から、狭い湾に差し込むように津波が襲ってきたため、まったく海が見えないような奥地にまで被害は及んでいます。
どうしてあんなところに、という高さまで、爪あとが残っています。
火災の跡もひどいです。

濃厚な潮のにおいと砂埃。そんな中にぽつぽつと肩を寄せ合うようにして人々が避難生活を送っていました。高台の一軒屋に近隣の方々が集まっている地区では、静雄さんが「もしよかったら」と渡したプランターが大変喜ばれました。硬い表情がふわっと和らぎます。
また、物資の古着もその場で開けて、あっという間に引き取られていきました。私は自分の危惧の浅はかさを思い知りました。

ほかに必要なものはありませんか?と聞くと、ワラをもすがる表情で「家が欲しい」と言われました。
一語たりとも、返せる言葉が出ませんでした。息もできない。
それでも、帰るときは、「また来てくれる?もう来ない?」と繰り返し聞かれ、見えなくなるまでお辞儀を繰り返してくれました。

公民館のようなところに避難している方々にも、静雄さんが前回訪れたときに頼まれていたものを降ろしました。その間、何度も何度もお礼を言われます。私はもう顔を伏せて「いえいえ、そんな!」としか言えません。

帰り際、すみません・・・、と60代くらいの男性にに声をかけられました。なにかお役に立てるかと思いハイ!と元気に返事をすると、
「わたしたちは、このご恩をどうお返ししたらいいんでしょう」
と言われました。

いつも厳しい自然の中で、助け合って、支え合って暮らしている方々にとって、一方的に支援を受けるのは、ありがたい以上に「申し分けない」という気持ちが大きいのだと思います。皆さんが本当に欲しいのは、自立して暮らせること。でも、そこにいきつくまでは、どうかまだまだ甘えていただきたい。我慢して甘えてもらえませんか。
・・・でも、何も言えず、握手の手を握り返すだけです。

途中から、後頭部がしびれてきました。

辛い、悲しい、は当たり前。もうそれは私が想像できる範囲では、とうていない。じゃあ、何ができるのか。それは、必死で生き残ってこれから生きていく方々に対して、微力だろうが、やれることを探してやるしかない。探し続ける限り、無力ではない。

各地で目の当たりにする景色を見て、何度もつぶやいたのは、
「なんにもない」です。なにもかも波にさらわれていきました。

けれど、現地で必死に暮らす方々からは、とても強い“生命欲”のようなものを感じました。「大変だけど、ここまで乗り越えてきたから」、
「心配だけど、なんとかなると思うよ」と、励まされたりもしました。

Otsuchi2

壊滅してしまった町に、急ピッチで電柱が立てられています。

活動の方向が日々変わり、ここをご覧の方々を翻弄してしまいますが、お許し下さい。絵本について、また、これから自分がすべきことについて、考え、訴え続けます。見守り、反応をいただければ、それが力となり、支援にもなる、と考えていただけたら嬉しいです。

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コメント

現地で惨状を目の当たりにし言葉を交わすのと、遠く離れた場所で見る画像では大違いなんですね。それは良く理解出来るのですがこのリポートを読むと感情が胸に突き刺さるようです。ご苦労様でした。ありがとうございました。

投稿: hideki | 2011年3月30日 (水) 14時18分

>でも、そこにいきつくまでは、どうかまだまだ甘えていただきたい。我慢して甘えてもらえませんか。
・・・
<そう、ケイコさん。その通りなんですよね。「受け取って喜んでもらえる事」が「私達が一番嬉しい事」なんです。
私達も、被災者の方達から目に見えないけど(受け取って嬉しい気持ち)をもらっているんです。「だから私達をたくさん喜ばせてください」
どうかそう伝えてもらえますか?
お願いします。

それと何年後かしたら、すっかり復興した街や村や海を彼氏(まだいないけど)と一緒に旅行したいな。

投稿: ふく | 2011年3月30日 (水) 18時04分

現地を訪れたある国会議員が、「国民の全ての人にこの光景を見てほしい。これを見ないと今後の日本は語れない」と言っていました。
政治家としてのPRの言葉だろうけど、TVや紙面の中の光景と、実際に感じるのとでは全く違うものでしょうね。

助ける側、助けられる側ではなく、前に進もうとするその姿が私達に力をくれてることを伝えたいです。
トネアイ(始めてコメントさせていただきます。)

投稿: あい | 2011年3月30日 (水) 19時23分

現地へ行った、ということだけでも
頭が下がります。
のんびりと暮らしている私たちですが、
こうして伝えていただくこと、それを受け取ることから何ができるか考えます。
とにかく、行ってくれてありがとうございます。
日々活動の方向が変わるのは仕方がないし、当たり前のこと。
どんどん変わっていく方向についていきますから、これからもよろしくお願いします。

投稿: Harumi | 2011年3月30日 (水) 19時36分

to.hidekiさん
どう伝えていいか、混乱していましたが、文章にしていったら少し冷静になれました。こうして見て下さっている方々のおかげです。惨状はテレビからも十分伝わると思いますが、目を合わせて、手を握って、言葉を交わすことは、やはりそうしてみないとわからないことでした。活動を続けます。

to.ふくちゃん
そうだー、そういえばよかった。よく胸に沁みこませて、次はそういう思いを伝えます。本当にそうだもの。うんうん、ありがとう。旅行、ぜひ来てね。復興はきっと思ったより早いから、ふくちゃんも急いでね~!

to.あいさん
はじめまして。読んで下さってありがとうございます。私もその国会議員の方と同意見です。ただ、本当にそうなると、交通機関等々がパニックになるので無理ですが、少なくとも私は行ったことは間違ってないと思いました。あいさんは報道関係の方ですか?私は自分の言葉のつたなさがもどかしくてたまらないです。ぜひともその「一緒に進もうとする姿」を捉えて、伝えていただきたいです。

to.Harumiさん
皆さんに背中を押されて日々活動できています。こうしてキャッチしてくれるから、投げられる。こちらこそ、ありがとうございます。今思うことがたくさんあって、整理してからと思いますが、そんな時間も惜しいので、やっぱりクルクル変化しつつお伝えしていくことになっちゃうと思います。

投稿: keiko | 2011年3月30日 (水) 20時25分

おつかれさまでした。
私は「自分が現地に行ったら、言葉もなくただただ泣いてしまうのではないか・・?笑顔ではいられないかも・・」と思ってしまいました。
でも、祖父母が暮らした釜石・よく釣りに行った漁港など、自分はもちろん、子供達に今の状況を見せないと!!と思っています。東に見える山の向こうに、どんな光景が広がっているのか・・。

ランドセルや学用品も集まってきました。
子供達が笑顔で学校に通える事を願っています・・。

投稿: cyami | 2011年3月30日 (水) 23時19分

to.cyamiさん
私には「なにもない」とうつった景色も、cyamiさんのように思い出のある方にとっては、「あったものが、ない」という喪失感になるわけですものね。素晴らしい景色、豊かな漁場、多くの家や人命。失ったものは大きすぎます。それだけに、今、この事実を、目と胸に刻みつけ、受け止める必要も感じます。ランドセルの活動も素晴らしいです。見守っているよ、というメッセージをまずは内陸から、送り続けましょう。

投稿: keiko | 2011年4月 1日 (金) 20時01分

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